6 月 10th, 2009 | No Comments »

インド
インドでは主流の宗教・ヒンドゥー教の習慣に基づき、火葬が行われることが多いです。

インドにおける火葬場は、野外に設けられており、薪を積み上げてその上に遺体を置いて点火するという様式です(野焼き)。

近年では、燃料としての木材伐採が環境破壊につながるとして深刻な問題となっており、また薪が高騰していることもあって、日本の技術を使った「近代的な」火葬炉も設置されています。

しかし、古来からの伝統的野焼きにこだわる人がまだまだ多く、野焼きが続けられています。

ネパール
インド同様のヒンドゥー教主流の国であり、首都のカトマンズにはパシュパティナート(Pashupatinath)というインド亜大陸の4大シヴァ寺院のひとつに数えられるネパール最大のヒンドゥー寺院があり、その裏側にはガンジス川の支流でもあるパグマティ川が流れており、河原のガートでは一日中火葬の煙が絶えることはありません。

カトマンズの朝霧は、火葬場の煙といわれるほどです。

上流階級の者ほど上流側のガートで焼かれています。

輪廻転生を信じるヒンドゥー教徒は墓は作らず、焼かれた灰は箒とバケツの水でパグマティ川に無造作に流されています。

また、火葬の際には、親族の男性は火葬の傍らで髪を剃る習慣があります。

河原では、火葬台の脇で人々が沐浴をしたり、少年が遺体から流された供物を盗もうとして咎められたりする光景が始終見られます。

寺院自体はヒンドゥー教徒以外は立ち入れないですが、火葬場は有料ながら誰でも見学できます。

欧米
欧米では、葬儀のあとに、火葬場に遺体をあずけ、後日遺骨を受け取るという流れが多いです。

また、骨上げという習慣がなく、火葬後の骨は顆粒状に粉砕してさまざまなかたちをした遺骨入れにおさめて引き渡すため、日本と比べると比較的高温で焼くことが多いです。

骨壷の形も、顆粒状の骨を入れられればいいため形にはあまり制約がなく、故人の趣味などにあわせた多様なものが準備されています。

近年は日本にも、欧米流の遺骨を顆粒状に粉砕する装置を備えた火葬場も登場してきています。

韓国
韓国では、土葬が主流でしたが、近年火葬が増加してきており、2004~2005年にかけて火葬件数が土葬件数を上回るようになりました。

そもそも儒教国である韓国では、伝統的に火葬は先祖に対する不孝であり禁忌とされていたものの、現代、特にソウル都市圏においての墓地逼迫は社会問題化し、ソウルは元より他の大都市圏においても火葬は一般化しつつあります。

しかし2007年段階で火葬場は韓国全土で47ヶ所・220炉程度に過ぎず、火葬場不足が深刻となっています。

また、過去に土葬された遺体を改めて火葬するという事例も増えていますが、改葬遺骨の火葬についてドラム缶などを使った違法な火葬が跋扈し、社会問題となっている。

Posted in その他
6 月 10th, 2009 | No Comments »

火葬場(かそうば、crematory)とは、葬儀のあとに、遺体を火葬するための施設のことを指します。

古代
火葬は、日本では宗教的要請から発生しました。

当初は恒久的な「火葬場」は設けられず、その都度火葬炉が仮設されて火葬が行われたり、人里離れた野原で行われたりしていました(野焼き)。

野焼きは、地域によっては昭和後期まで続けられていたようです。

中世
近現代になってからは墓地などに恒久的な炉が併設され、そこで火葬が行われることが増えてきました。

火葬場は「焼き場」「火屋」「三昧」「荼毘場」等と呼ばれました。

都市の形成に伴って数が増えていきましたが、京都では秀吉廟の建造の際に、鳥辺野の火葬場の臭気が疎まれて移転させられたり、江戸では4代将軍徳川家綱の上野寛永寺参詣時に臭気が及んだことから、小塚原刑場付近に統合されるなどした結果、徐々に郊外で大規模化していきました(現在の東京博善町屋斎場は、立地にその名残を留めています)。

また、寺院が経営する火葬場も多かったです。

近現代
近代に至るまで、日本の葬送儀礼として火葬は主流ではありませんでした。

しかし遺骨がコンパクトにまとまり持ち運びが可能になる・土葬のように数年単位で墓地の面倒を見る必要がない・墓地の土地面積が節約できる等のメリットが徐々に浸透し、火葬が普及していきました。

高度経済成長期以降の人口の都市集中なども火葬の追い風となり、それ以降では火葬が主流になりました。

火葬の普及に伴い、墓地とは無関係に、独立した火葬専門の施設が設置されることが多くなりました。

それらの火葬場は、主に各市町村の清掃・衛生関連部署による運営や、複数の市町村が一箇所に集約して使われる、行政組合による運営のものが多いですが、一部に民営・業務委託・半官半民(PFI)といった形態で設置・運営しているものもあります。

米国のサービスコーポレーションインターナショナルのような大規模な葬儀会社の一部門として組み込まれている場合もあります。

また東京では、他地域の公営火葬場主流に対して、東京博善(廣済堂グループ)という民間企業が大半の火葬を行っているという特徴があります。

Posted in その他
6 月 5th, 2009 | No Comments »

棺(かん、ひつぎ(柩))とは、葬儀の後に遺体を納めて葬るための容器の事を言います。

木製の場合は木棺(もっかん)、石造の場合は石棺(せっかん)と言われます。

日本
今日の日本では火葬がほとんどであるため、それに適した棺が使用されています。

大きく分けて天然木棺と、合板製のフラッシュ棺に分けられます。

天然木棺は、主材が檜(ヒノキ)、樅(モミ)、桐(キリ)などの無垢材が用いられており、高級品です。

一方フラッシュ棺は、薄いラワン合板の間に芯材を入れて貼り合わせ、表面に天然木(桐が主流)を薄くスライスしたものを貼った突板貼り合板棺、木目を紙に印刷したプリント合板棺、布を貼った布張り棺があり、比較的安価です。

最近は熱帯雨林の保護や地球温暖化、そして地球資源の有効活用から、環境に配慮した特殊段ボール製のエコ棺も出始めています。

また、形状はそれぞれ箱型、カマボコ型、山型、舟型などがあり、外観には彫刻を施した総彫刻、五面彫刻、三面彫刻、二面彫刻などの彫刻棺もあります。

サイズは火葬場により入れられる寸法が異なり、一般的に関東は大きめの棺が使われています。

蓋には遺体の顔を見られるように、専用の蓋で開く小窓がついている事が多いです。

内装のほとんどは白が主流で、素材としてはポリエステルが用いられていますが、価格により高価な素材が使われ、レース等の装飾が施されています。

棺の価格は安いものでも数万円は珍しくなく、高いものでは数十万~100万円以上するものもあります。

遺体と共に愛用品やお気に入りだった衣服・書籍などを副葬品として納め、そのまま火葬する事もありますが、最近は環境問題から、火葬場側ではそれを自粛するように呼びかけられています(特にプラスチック類など)。

しかし、現状では社交的・風習的な事情からも、規制が難しい側面があります。

日本の棺の歴史
弥生時代には、甕棺や憤丘墓に棺が使われていました。

弥生憤丘墓の棺は短く、内法で2メートル程度の組み合わせ箱形木管が主流だったようです。

中には底がカーブしており、割竹形木棺のような棺もあり、組み合わせ石棺も北九州などにあります。

古墳時代には、木棺や石棺が使われました。

その形は様々で、木棺では刳り抜き式の割り竹形、組合せ式箱形、長持ち形などがあり、石棺には割り竹形、長持ち形などがあります。

古墳時代に盛行した割竹形木棺(わりたけがたもっかん)は、直径1メートル前後のかなり太い丸木を縦に割り、内部を刳り抜いて大人一人の遺骸を収納できるようにした棺です。

この名の由来は、竹を縦にわってつくったように見えることから来ています。

舟形木棺も同じような造り方で、棺の長さは平均でも5メートル前後、長いものは8メートルにも及び、一人の遺骸を納めるには長すぎる大きさです。

副葬品を入れるためとも思われていますが、そればかりではないという意見もあります。

しかし、三分割して頭部上と足部下に各種品を納めている例もあります。

材質はコウヤマキが圧倒的に多いです。

鎌倉時代からは樽型の棺(座棺)が主流でしたが、この棺はまだ火葬が主流になる前、土葬をする際に多く用いられていました。

火葬も可能でしたが、この棺に対応する火葬場、土葬の減少もあり、現代は主に寝棺が使われています。

Posted in 道具