6 月 4th, 2009 | No Comments »

殯(もがり)とは、日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認する事です。

その棺を安置する場所をも指すことがあります。

殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)と言います。

日本の古文書にみる殯
『古事記』、『日本書紀』では殯、『万葉集』では大殯とされ、貴人を殯にした記録や、それを連想させる記録が見られますが、具体的な方法などは記録されていません。

『日本書紀』においては、一書の九でイザナギがイザナミを見た際「伊弉諾尊欲見其妹 乃到殯斂之處」の殯斂や天稚彦(アメノワカヒコ)の殯「便造喪屋而殯之」(一書の一「作喪屋殯哭之」)、巻8の仲哀天皇の崩御後にその遺体を、武内宿禰による海路に穴門を通って、豊浦宮におけるもの「竊收天皇之屍 付武内宿禰 以從海路遷穴門 而殯于豐浦宮 爲无火殯斂无火殯斂 此謂褒那之阿餓利」があり、その後数代後の欽明天皇(欽明天皇32年4月15日(571年5月24日)崩御)32年5月に河内古市に殯し、秋八月に新羅の未叱子失消が殯に哀悼した「五月 殯于河古市 秋八月丙子朔 新羅遣弔使 未叱子失消等 奉哀於殯 是月 未叱子失消等罷 九月 葬于檜隈阪合陵」と記述されています。

なおこの時の殯の期間は1年弱です。

隋書に記録された殯
『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國」には、死者は棺槨を以って斂(おさ)め、親賓は屍に就いて歌舞し、妻子兄弟は白布を以って服を作ります。

貴人は3年外に殯し、庶人は日を卜してうずみます。

「死者斂以棺槨親賓就屍歌舞妻子兄弟以白布製服 貴人三年殯於外庶人卜日而 及葬置屍船上陸地牽之」とあり、また、『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 高麗(後の高麗王朝のことではなく高句麗のこと)には、死者は屋内に於て殯し、3年を経て、吉日を択(えら)んで葬る、父母夫の喪は3年服す「死者殯於屋内 經三年 擇吉日而葬 居父母及夫之喪 服皆三年 兄弟三月 初終哭泣 葬則鼓舞作樂以送之 埋訖 悉取死者生時服玩車馬置於墓側 會葬者爭取而去」とあります。

これらの記録から、倭国・高句麗とも、貴人は3年間殯にしたことが窺えます。

なお、殯の終了後は棺を墳墓に埋葬しました。

長い殯の期間は大規模な墳墓の整備に必要だったとも考えられています。

殯の衰退
殯の儀式は大化の改新以降に出された薄葬令によって、葬儀の簡素化や墳墓の小型化が進められた結果、仏教とともに日本に伝わったと言われる火葬の普及もあり、急速に衰退していきました。

現代の大喪における「殯宮」
殯宮は「もがりのみや」という名で天皇の大喪の礼に、また「ひんきゅう」という名で皇后・皇太后・太皇太后の斂葬の儀までの間、皇居宮殿内に仮設される遺体安置所の名として使用されることになっています。

戦後に於いては昭和天皇や貞明皇后、香淳皇后の崩御の際に設置されています(ただし、太皇太后は現在の皇室典範にも定められているものの、実際には平安時代末期以降、現れていません)。

崩御後13日目に遺体を収めた棺は、御所から宮殿内の殯宮に移御され、崩御後45日目を目処に行われる大喪の礼や斂葬の儀までの間、殯宮拝礼の儀を始めとする諸儀式が行われます。

現代に生きる殯の名残
通夜は殯の風習の名残で、殯の期間が1日だけ、あるいは数日だけに短縮されたものとする説もあります。

沖縄でかつては広く行われ、現代でも一部の離島に残る風葬と洗骨の風習は、殯の一種の形態と考えられています。

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5 月 27th, 2009 | No Comments »

国葬(こくそう)とは、国家に功労のあった人の死去に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことです。

戦前の日本では、明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられていました。

1926年(大正15年)10月21日に国葬令(大正15年勅令第324号)が公布され、国葬についての根拠法令が一般的に整備されています。

国葬令によると天皇・太皇太后・皇太后・皇后の喪に服することの儀式(葬儀)については、特に「大喪儀」(たいそうぎ・たいもぎ)と言い、国葬が行われました。

また7歳以上で死去した皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫妃、及び摂政たる皇族の葬儀はすべて国葬とされ、天皇、皇族以外の国家に功績ある臣下が死去した場合にも、天皇の特旨により国葬が行われました。

戦後、国葬令が失効したことにより、それによって規定された国葬はなくなりました。

戦後、国葬を行った例は1967年に死去した吉田茂のものが唯一です。

これは、閣議によって国葬と決し、かつ宗教色を廃して行なわれています。

現在、国家に功績があったとされる政治家の葬儀は、内閣、所属した政党、所属した国会の議院、及び故人の家族ないしはそれらのうちの合同で行うことが多いです。

皇族の場合、天皇の葬儀の一部に限って、国の儀式である「大喪の礼」として行われ、その費用が国庫から支出されます(皇室典範第25条)。

戦後の「大喪の礼」としては、1989年に崩御した昭和天皇の例があります。

その他の皇族については、その葬儀の呼称にかかわらず、皇室が主宰する儀式となっており、いわゆる国葬としては取り扱われていません。

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